流れる(1956)

 

監督:成瀬巳喜男

 

 

お話としてはつまらなかった。経済的に傾いた芸者屋に暮らす女性たちの群像劇だ。

 

ただ、話の内容はつまらないものの、その見せ方はユニークだと思う。

肉親から借金の支払いを催促される場面や、密かに未練を抱いている元旦那と再会することになったが直前で約束をすっぽかされてしまったりする場面など、悲哀溢れる数々の場面が淡々と描写されていて、変にクドくなくて良い。深刻な出来事に見舞われている登場人物たちに、視聴者は共感を強要されることなく、彼女たちを観察することに徹することができる。

これは思うに、この映画が男女関係そのものではなく、女同士が共に暮す姿に焦点を当てていることに由来している。つまり、この映画にはたいした男は登場しないのだが、むしろそれが功を奏している。もしも、お座敷で男を相手に芸者として仕事をする場面、つた奴の元旦那が登場する場面、染香が男に捨てられる場面など、男と抜き差しならぬような事態に陥る場面が挿入されていれば、この作品は深みを増すどころかむしろ中途半端になって、美点を損なってしまうだろう。この作品のレビューをネットで検索すると、「女優の仕草が美しい」という意見がある。この意見には賛成だが、視聴者が俳優の所作に注目して、それを美しいなどと感じることができるのは、俳優の巧さのみに由来するのではなく、男を出さないことで視聴者の共感を抑制するという仕組みにもよっているように思う。

 

少ない尺のなかで、何を観せて何を観せないか。 

この作品は、男を観せないことで、女たちの美しさを際だたせることに成功している。

流れる

流れる