小説をスマートフォンで書くことの苦悩について

俺はAndroidを使っている。Androidに外付けBluetoothキーボードを繋げれば具合がいいんじゃないか、そう思ってのことだ。喫茶店でパソコンを広げるのは恥ずかしい。だって、このデカデカとした画面を誰かに見られる可能性があるからだ。喫茶店なんてところは、特に都会の店舗はだな、隣席との距離が近すぎて頭がおかしくなりそうだ。少し身体を傾ければ俺の画面が見えるじゃないか。見るほどの価値はないのだろうが、見ず知らずの他人に見られることが苦痛だ、いや、実際に見られるかどうかじゃなく見られる可能性がある、という環境に置かれることに我慢がならないんだ。

そこで、スマートフォンである。スマホは現代人なら誰でも持ってるような道具であるわけで、喫茶店で取り出したからといって「おや?」となるようなシロモノではない。自然で、あらゆる景色に溶け込むツールだ。その道具を執筆に使うわけだ、周りの誰も小説を書いているとは思わない、そんな道具である。傍目には何の注意も引かない地味なサラリーマンであれ、一方で、創作の中では革命家たれ。俺は革命家だ。MacBookでは仰々しい、スマホが望ましい。俺は革命家だ。

と……述べたのは理想に過ぎなかった、AndroidMicrosoft Wordアプリはクソだ。糞すぎる。カーソルを変えると文章が削除される、スマホの表示上見えなくなるだけかと思ったら本当に削除されていた、OneDriveと連動しているから削除されるとめんどくさいんだよ。というわけで、Androidは執筆に向かない。 Wordアプリが糞だからだ、

そして俺は、このブログの文章をMacBookで書いている。カフェでひと目を気にしdつつ、「スタバでMAC(笑)」という声が頭の中で鳴りつづける。羞恥心のなかで俺はトラックパッドに恐る恐る触る、タッチ…この記事がリリースされた。

 

2020年自作PCの記録

自作PCを新調した、サイバーパンク2077のために。

これを書いている令和3年1月17日、期待していたサイバーパンクは期待していたほどのゲームではなかったのだけれど、PCを組んでいた令和2年12月7日、俺は大興奮で待ちわびたゲームのために、久方ぶりの自作の喜びを噛み締めて、貴重な休日の半分を費やし作業していた。

 

パソコンの入れ替えの何が楽しいのかと思う人もいるのかもしれない。そういう人には部屋の模様替えの時のワクワク感だと言っておこう。ニトリのソファーからカリモクのソファーへと言ったところか。俺はソファーなんて持ってないけど。

 

構成は以下である。

CPU     AMD エーエムディーRyzen 5 5600X With Wraith Stealth Cooler

マザー    GIGABYTEガバイトB550 AORUS PRO AC

モリー   CORSAIR コルセアCMK16GX4M2A2666C16

グラボ    エルザ ELSAGD3080-10GEREZX [ELSA GeForce RTX 3080 ERAZOR X]

電源     NZXT エヌズィーエックスティーNP-C850M-JP

CPUクーラー Noctua ノクチュアNH-D15

SSD(Cドライブ)Western DigitalエスタンデジタルWDS100T2B0C

ケース     Fractal Design(フラクタルデザイン) Define C FD-CA-DEF-C-BK

 

CPUはZen3に決めてた。あんまり重い作業はしないから5600だ

マザーはいろいろ悩みました。まずB550は確定。X570はマザボにファンが付いている時点でパス。たぶん騒音のもとになるし、それに高値だし。ASUS ROGのB550Eか、オーラスのマスターか。MSIとASRockは候補ではありませんでした。検索して探せる範囲では、MSIはUSBの数が少ないのがアウトだし、ASRockはよくわからん。で、GIGABYTEにしました。まあ、どれだけ機能の優れたマザーでも自分の用途に合わなきゃ持ち腐れなわけで、そこらへんの見極めはすべきだと思ったんですね。金があるからといってマセラーティとかアストンマーチンに乗るのはダサいんだよ、その価値をわかる人間が乗ってなんぼの車はある。マザーもそれと同じ、金があるから高級品に逝けってのは思考停止であってジサカーにあるまじき行為だな、と思ったわけだ。常に用途を考えよ。決して貧乏人の言い訳じゃなくてな。で、結局B550ACにした。USBの数がまあいいのと、Wi-Fiが付いてるのと(AXではなくACなのが気になるが)、あとはさAORUSブランドだってことだ。俺はGIGABYTEが好きだ。これまでZ170designerだったこともあるけど、やっぱりGIGABYTE社員の人柄だ。人柄なんてパーツの性能に微塵も関係ないんだけれどYou Tubeでパーツメーカーさんのチャンネルを見ているんだけど、俺はGIGABYTEの人たちが好きなんだな。楽しんで仕事をしているのが伝わってきて、羨ましい限りだ。しかし、PCを組み終えた3日後くらいにB550 AORUS PRO AXが発表されるとは予想もしなかったのである。ま、いずれ有線で繋ぐからいいんです。安くACを買えたことだし気にしない。

CPUクーラーはノクチュアに決めていた。これまでもノクチュアだったから性能を落としたくなかった。リテールは使わない。これは昔持っていたintelのリテールクーラーがうるさすぎたせいだ。AMDのリテールクーラーがどれくらいの音を出すのかは知らない。だがCPUクーラーの付け替えの面倒くささを考えると、リテールを使うのはありえなかった。で、ノクチュアだ。俺は高級品だけをチョイスする。NH-U12A……高えな。確か14,000円くらいした。NH-D15 は安いな、確か10,000円だった、俺には無用の長物だが、けれど安い。でかいほうが小さいのより安いのか。そこらへんのからくりは俺にはわからん。よし、NH-D15に決定。

メモリはこれまで使ってたのを流用。ケースも流用。本音を言えばケースも変えたかった。ガワの見た目に変化がないと新鮮味がないから。とはいえ、ケースの処分が面倒なのと、機能的には不満がないし、いいケースは値が張るからそのまま使うことにした。

グラボはRTX3080に決めていたのだが、品薄でメーカーを選んでいられる状態じゃない。オンラインショップでは入荷すると翌日には在庫なしの表示になっていた位だ。それに俺のケース(defineC)は全長315mmまでのグラボしか入らない。RTX3080は320mm超の奴が多くて、なおさら選択肢が少ない。ELSAなのはそういうことだ。

電源はグラボの消費電力に合わせて買い替え。これまでのCorsairより良いのが欲しかった。シーソニックOEMだと聞きつけコスパ良好だろうと思いC850にした。シーソニックが何なのか俺はよくわからない。高品質な電源を扱うらしいということだが、実際に高品質かどうかは知らない。ともかくシーソニックだ。

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さて、組み立てを開始する。

写真をところどころ入れているけど、もともとブログにアップするつもりで撮影したわけじゃないから参考にならない画像が多いのは許してくれ。今見るとなんでこんなの撮影したんだってのが割とあるが、それしか写真が無いのだからそれをアップせざるを得ない。f:id:koterakotera:20210117193311j:plain

 

ケースから旧マザーを外して、ケースをすっからかんの状態に。

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まずは電源から装着。電源の説明書にはケーブルは電源ユニットをケースに入れた後に挿すように書いてあったが、defineCは電源ユニットを入れた後にケーブル挿すのがしんどそうだったので、ケーブルを挿してから電源ユニットをケースへ入れた。

 

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マザーにCPUを取り付ける。緊張の瞬間。

4万円だからな、ミスは許されない。

レバーを下げるだけ。あっけなく終わった。しかしintelのマザーのほうがCPUを丁重に扱ってる気がする、カバーがあるからね。しかしAMDのマザーがカバーなしだとすると、intelのあのカバーは何の意味があるのか。考えても仕方がない、次だ。

 

M.2SSDを装着。簡単でよかった。

そしてメモリを取り付ける。ここまでは順調。

 

CPUクーラー。ううむでかい。メモリ側のファンを普通に取り付けるとメモリにぶつかってしまう。ケースのサイドパネル側にファンをずらす必要があるが、ずらしすぎると、今度はCPUファンがPCケースに接触してケースを閉じられなくなる。で、CPUファンとメモリにぎりぎり隙間が空くくらいに調整してつけてみた。ケースとの干渉もなし。defineCとNH-D15の組み合わせは、メモリの大きさに次第というところもあるけれど、なんとかいけるようだ。

 

マザーボードをケースにネジ止めする。ここの順番を誤ったことが今回の自作の痛恨のミス。CPUファンが巨大すぎて、ケース内のメンテナンス性が悪くなってるのを失念していた。ケースファンのピンをマザーに挿そうとしても、NH-D15が邪魔で手を突っ込めない。休憩を挟むとピン一つ繋げるのに、なんだかんだ10分位かけたか。それからもNH-D15が邪魔で仕方がなかった。

 

B550 AORUS PRO ACはTSUKUMOで購入した時点のBIOSではRyzen5600に対応していない。BIOSアップデートをしなければならない。昔、購入したマザーのBIOSが古くて、一緒に購入した最新CPUに対応しておらず、電源はつくのにBIOS起動しないという事態になった。自力でBIOSアップデートができず、購入したショップに送ってBIOSアップデートしてもらい事なきを得た(金払ったかどうかは忘れた)が、同じミスは繰り返さない。GIGABYTEUSBメモリで簡単にBIOSアップデートできる。Q-FLASHである。俺は古いPCをバラす前にGIGABYTE公式サイトからBIOSデータをダウンロードして、USBメモリに入れて準備をしていた。これで今回は大丈夫。

やり方はネットにアップされている。CPUやメモリが取り付けられていない状態でもUSBメモリだけでBIOSアップデートできるようだ。俺はCPUもCPUファンもメモリも取り付けた状態でやってみた。

専用のUSBポートにUSBメモリを差し込んで、Q- Flash Plusボタンを押す。

おお、USBメモリが光り始めた。順調、順調。動画で見たとおりで一安心だ。

 

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まだか。電源が落ちない。動画によれば電源は勝手に切れるはずだった。だが、いくら待っても落ちる気配がない。仕方ないので、電源のスイッチを俺の手でオフにした。無理やり切ったわけだ。これが原因でBIOS起動しなかったら……。

電源スイッチを入れる。緊張の一瞬。しかし、……電源は入るものの画面には何も映らない。……ああ、終わった。またショップに送りつけてBIOS更新か。マザーからCPU外さなきゃなんないのかな。アアーー、クソ面倒くせえ。oh.....shit! ohhhhhhh.shiit。シィィィトゥッッ! 苦し紛れにマザーとディスプレイを繋いでいるHDMIのケーブルを別なものに変えてみた。10年近く使っているケーブルだ、それこそ今は亡きPS3に使っていたケーブルだ。こいつが原因かもしれない。少しは新しいケーブルに変えてみる。だが無意味だった。

ふと、ここで気づく。Ryzen5600Xは内蔵グラフィックがない。オンボードでは映像が映らないのは当たり前じゃないか。いや、当たり前じゃん。あたり前田のポテトチップ! 興奮を抑え、ホッとしつつ、後回しにしていたグラボを取り付ける。ELSAはサポートステイ付属でありがたい。こんなもの本当に意味あるんだろうかと思いつつ、サポートステイを取り付ける。

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もう一度、電源スイッチを押す、来るか?来るよな?

鷲のマークが画面に映った。

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キタ―――(゚∀゚)―――― !!

 

終 わ り 。

 

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上の画像を観てくれ。CPUファンが回転している一方で、グラボのファンは止まっているのがわかるだろう。説明書には何も書いてないが、このグラボはセミファンレスらしい。

 

これでハード的には入れ替えが終了。

あとは、Windowsライセンスの認証をして、SSDのクローン作って移してと、それで一段落だった。俺の休日は一日潰れ、後には、パソコンが残った。

 

〓感想〓

やっぱケースは変えるべきだった。なんだか割り切れない思いだ。新しいクルマに乗り換えたいけど金が無いから中身だけ可能な限り改造してみました、AUTOBACSで。って感じだ。不完全燃焼か?そうだな。しかし、中身はイけている。イケてるよな。そして、サイバーパンク2077はあまり良くなかった。だから、俺はまたウィッチャー3をやっている。これを書いている令和3年1月17日、パーツへの評価は概ね満足といったところ。不具合は起きていない。グラボも安定している。サイバーパンク2077を4Kレイトレーシングでプレイするときは非常に熱くそれなりに煩くなったが、強制終了はなかった(気がする)。

旅人は真っ昼間から酒を飲むのを許されているか

何のことを書こうとしていたのか。
忘れてしまった。
それで、今考えていることは何か。
休みの日は早い時間から飲み始めていて、脳がアルコール漬けになってきていること。
つまらん。
そんなありふれたダーティーな話を他人から聞かされても、うんざりではないか。
だがする。休みの日。昭和チックな店で昭和チックなカレーを食べて、俺はご満悦だった、チェーン店ではありえないぶっきらぼうな接客だったのも日々人間不信の俺からすると嬉しかったのだ。いざ帰ろうとして新幹線の待合室にいると、日本酒の自販機がひっそりと用意されていた。カップ酒とかそういうアル中のおっさんが寄りそうなやつではなかった。最近おすすめの地酒がいくつか飾られていて、プラのカップに注ぐというやつ、観光地にありそうなアレである。俺は買った。おすすめNO,2と書かれていた。選んだ理由は、ラベルのデザインが清涼感をかもし出していたから。俺がクソ暑い街なかを抜けてきたばかりだというそれだけのこと。時間は午後1時20分、ちょうどよい時間だ。ひきこもりには昼酒は許されないが、旅先でなら昼酒は許される。映画や小説では、外人は昼食で優雅に食中酒をあおるのがよくあるけれど、どうにも俺にはできないのだ。憧れはあるが、あれをすると結局は、顔を真赤にして床に横になってしまう。まあ、横になるといっても布団ではない、床にだ。これ重要。布団は横になる場所だ、横になるための場所だ、横になるのが正しい場所だ。なのに、昼間から頭をスポンジのようにふやけさせているこの俺は、正しくない。だから横になっていて正しくないところに転がらなければならない。かといって、白昼の国道なんかに寝っ転がるわけにはいかない。それで俺は自分の部屋の床に転がっているのだ。ささやかな、悪の意識を確かめるために。床は寝る場所じゃないし、誰に見られる心配もない。なんてちっぽけな世界に生きているんだろう。俺はどうやら、自分だけの世界でひとり悪ぶっていることに満足を感じているらしい。

 

ソーシャルネットワーク(2010)

 

監督:デヴィッド・フィンチャー

 

物語

・エリカという女の子(マークの彼女)と2人で会話しているのだが、フラれる

・フラれた腹いせに彼女への中傷を含む記事をブログにアップ。そして、大学にハッキングを行い、ハーバード大の女子の顔を比較するサイトを立ち上げる。サイトはまたたく間にアクセス数が伸び、深夜だと言うのに大学のサーバーがダウンした程だった。

・マークはは反省の色は全く見せなかった。むしろ、サーバーをダウンさせるほどアクセス数を稼いだことで鼻高々だった。

・ウィンクルボス兄弟はその噂を聞きつけ、マークに仕事を依頼する。その仕事とは大学の排他的SNSの立ち上げで、ハーバード大のメールアドレスを持つ者のみが利用できる招待制のSNSだった。

・ウィンクルボス兄弟は依頼した仕事の催促を何度もするが、マークはこれを無視。マークは授業にも出ずにサイトの制作を続け、ついに「ザ・フェイスブック」をリリース。これは現実生活の社交をインターネットに持ち込むという画期的なサイトだった。

エドゥアルドの人脈を使ったこともあり、サイトはあっという間に大学で人気となる。

・ウィンクルボス兄弟たちはアイディアの盗用だとマークを訴えようとしたが、富裕層の出であり、かつボート部のエースである兄弟の一人が「ハーバードの紳士はそんなことはしない」と言い出したため、揉め事に至らなかった。

・マークは学内の有名人になり、嫌われ者から一転、人気者となった。ある日レストランで、エリカを見つけて声をかけるも彼女の反応は冷淡。ふたりだけで話したいと誘うものの、彼女からはあっさりと拒絶されてしまう。この出来事により、マークはハーバード大以外の大学にもサイトを広めようと動き出した。

・ショーン・パーカー登場。偶然フェイスブックのページを目にした彼はマークに興味を持つ。スポンサーを探しに来たマークとエドゥアルドはショーンと面会する。エドゥアルドはビジネス面の相談を持ちかけるも、ショーンは意に介さず。エドゥアルドは彼の人格や経歴に疑念を持ったが、マークは逆にショーンに共感し魅了されていた。別れ際、ショーンはマークに2つアドバイスする。「ザ」を取れ、「Facebook」このほうがシンプルでいい。東海岸より西海岸、シリコンバレーに来い。

・マークは拠点を西海岸に移すため、資金をエドゥアルドに頼む。しかし事業が好調になる一方で彼らの友人関係は悪化していた。エドゥアルドに断りなく判断するマーク、だが資金面はエドゥアルド頼みだった。プログラマー採用の面接会場、といっても堅苦しい場所ではない。学生たちが陽気に騒ぎ、当のプログラマーたちも酒を飲んでいる。エドゥアルドも楽しそうだ。

・マークは拠点を西海岸に移した、一方でエドゥアルドはニューヨークでスポンサー探しを続けていた。3週間後、エドゥアルドが西海岸にやってきた時、そこはショーンが牛耳る場所になっていた。事業とは無関係と思われる未成年らしき女の子がいて、しかもマリファナの類をやっているようだった。自分の知らないところで事が運ばれていることにエドゥアルドは激怒。ショーンがいると話にならないと判断しマークとふたりだけで話す。この3週間エドゥアルドはスポンサーを見つけられなかった一方、ショーンは投資先との契約を次々に成立させていた。エドゥアルドは会社の口座を凍結するが、これによってマークとの仲は悪化する。

Facebookは成長を続け、拠点はプール付きの家からオフィスビルへと移った。

株式の新発行により30%程だったエドゥアルドの持ち株が1%未満になってしまう。これは明白な罠であり、エドゥアルドは訴訟を起こす覚悟しろとマークに伝え、会社を去る。マークはこれはやりすぎだと後悔するが、ショーンは奴は契約の邪魔をしたと判断は間違っていないと主張。

・一方、ウィンクルボス兄弟もFacebookアメリカにとどまらず世界に進出していることを知り、訴訟を決意した。

 

 とまあ、あらすじを書いてきた。この映画は好きなんだけど、面白さの要因に物語の構成面が占める割合は少ないように思う。

・脚本の構成面で面白いのは、会社の業績が上昇するにつれて唯一人の友人であるエドゥアルドとの関係が悪化していく、という部分。

・個々の場面でも同様の描写はあって、例えばエドゥアルドから訴訟を起こすと言われ喧嘩別れするシーン。Facebookのユーザーが1億人を突破した瞬間が並行して描写されている。マークは、親友とケンカ別れをして、さらに、気になっていた女の子がいるのだがショーンが遊び感覚で手を出してその子も満更ではない様子を目の当たりにする。スタッフ皆がお祝いムードで騒いでいるなか、マークは自席でひとり座っている。外面的には大成功を収めている一方、内面的には幸せではないわけだ。

Facebookの誕生と成長が時系列で順に語られているのではなく、訴訟の場面が頻繁に挿入されていること。言い換えれば、物語における「現在」は訴訟の場面であり、ここを基点として過去が語られているということ。共同経営者にして唯一の親友から起こされている訴訟が、物語の基礎となることによって、若き億万長者であるマークのサクセスストーリーではないことが強調されている。

・個々のセリフと演技、これがこの映画の魅力のほとんどを占めている。異常者であるマークとショーン、常識人であるエドゥアルドの絡み。冒頭のマークとエリカの会話。最初から最後までマークが笑顔を見せないということ。エドゥアルドとショーンの最後の会話「お前の近くにいると、自分が強くなったように思える」ここのエドゥアルドの口元、ショーンの周りの視線を気にしつつ不安げな表情、最高である。

 

 

 

 

 

たったひとつの冴えたやりかた

映画『涼宮ハルヒの消失』のエンドクレジット後のシーン、図書館で長門が読んでいた本である。それで読んでみた。要するに聖地巡礼的なノリで手を出したわけだ。でも、やめたほうが良かった。ずっと未読のままで「長門の本」という不可侵のイメージを守るべきだった。

 

良かった点

・タイトルがかっこいい

・装丁のセンスが光る(早川書房; 改訳新装版)

 

主人公は親の目を盗んで宇宙の海へと繰り出す。15歳の少女の語りで展開する部分が多く、学校をサボって映画館に行った時のような、子どもらしい背徳感と開放感がこの物語の基調になっている。

 

SFなんだけど、スイッチの擬音が「カチッ、カチッ」だったりカセットテープが出てきたりと、現在では過去のものとなった技術が描かれていて、いわゆるレトロフューチャー的な嗜好があれば小道具のひとつひとつが楽しめる作品だと思う。

 

たったひとつの冴えたやりかた 改訳版

たったひとつの冴えたやりかた 改訳版

 

 

 

 

機動警察パトレイバー 2 the Movie(1993)

監督:押井守

 

冬になると観たくなる作品の一つ。

個人的にアニメ作品の最高峰と思う。

 

 攻殻機動隊スカイ・クロラと比較すると起承転結のわかりやすい物語となっているし、TVシリーズと劇場版1作目の続編にあたるので人物の説明に余計な描写を割く必要が無くなっているためかと思うが、登場人物も魅力的に見える。しかしこの映画が傑作であるのは、内容の面白さと技術の水準の高さが並立しているからだろう。素人目で見ても明らかに絵が上手い。演出や構図も印象に残る。音楽も良い。オープニングもエンドクレジットも劇中の曲も印象的で、全体的に今聴いても古びていない。この時代の映画は、今観ると劇伴が作品の足を引っ張っているものがある。例えば、ガンダムWのEndlessWaltzは好きな映画なんだけど、古臭いBGMが流れる場面があって、その場面に限ってはどうしても興が削がれる。だが、本作はそんなことはない。2000年以降にサントラがリマスターされて、いまだにAmazonに在庫があるのもそのことを裏付けていると思う。

 

 本作では後藤さんと南雲さんが主役を張る。後藤さんの有能ぶりと南雲さんの美しさがきわ立っている。南雲さんは綺麗だ。昔の男への私的な未練と職務上の義務とのあいだで板挟みになっていて、憂いを帯びた表情をすることが多い。後藤さんもカミソリ後藤の名のとおり、荒川という怪しさ満点の男と折衝を重ね、組織の命令に従っている体裁を取りつつ華麗にサボタージュし、命令や強要をすることなく松井刑事を足で使い、南雲さんに叱られながらも(むしろ叱られて嬉しい)、各方面への根回しを絶やさず、部下からは慕われている。だが結局、作中でトップクラスに有能なこの男が女性に振られてしまうという…。

 

 閑話休題。この作品は絵的にサマになる場面設定が多い。何も考えず映像を眺めているだけでも楽しめる。

・深夜、湾岸沿いの高速道路を車で走る。光は車外から射す道路照明(射し込む/途切れるを繰り返すことの効果!)と車内の小さいモニターぐらいのもの。窓外には高層ビルや巨大なクレーンなどが見える。

・東京の廃墟。水路沿いの家屋、湾岸沿いの工場、廃止された地下鉄の駅。

・雪。といっても吹雪のように強烈に吹きつけるようなものではなく、「しんしんと」という語すら当たらない。無風の大気を重力の作用のみによって空から降りてくる感じ。それがこの映画にある種の静けさを与えている。

・首都のビル街を進む戦車、雪の降る広場にぽつんと鎮座する戦車、市民の日常生活に突如混入する軍隊。思いのほか兵隊と戦車には夜と雪が似合う。2.26事件のイメージ。

・和風の民家、街角のたばこ屋。着物やたんす、障子など今は亡き調度類のノスタルジ―。ノスタルジーは、場合によっては小洒落た記号と化し、趣味が悪く見えてしまう事があるが、本作はそうではない。榊(おやっさん)のキャラにしっくり来るからだろうか、調度とそれを使う人物が調和している感じがあるわけだ。室内が基本ローアングルなのもいい。榊の家で正座している南雲さんが美しい。

 

 ここまで触れてないが、言及しないのも不自然になるだろうから書くか。物語の本筋は政治的な話。戦争という問題に対峙することを避けて幻想に過ぎない平和を謳歌している日本…などという話。しかし、個人的にはどうでもいい。ピンとこないのだ。政治は、そのキナ臭さ故に作品の色調に豊かな淀みを添える効果がある…その程度の認識しかない。つまり、語られていることそれ自体に対して、リアルな問題意識を持って接するというより、美的な鑑賞しか行っていない。なぜそうなのか、なぜ政治的なものに無関心でいられるのか。政治を理解する気のない俺に問題があるのか、たまたまこの作品の描写が不足しているだけのか。いや、俺も平和ボケした日本人の一人だからなのか。わからない。

 

機動警察パトレイバー2 the Movie [Blu-ray]

機動警察パトレイバー2 the Movie [Blu-ray]

 

 

流れる(1956)

 

監督:成瀬巳喜男

 

 

お話としてはつまらなかった。経済的に傾いた芸者屋に暮らす女性たちの群像劇だ。

 

ただ、話の内容はつまらないものの、その見せ方はユニークだと思う。

肉親から借金の支払いを催促される場面や、密かに未練を抱いている元旦那と再会することになったが直前で約束をすっぽかされてしまったりする場面など、悲哀溢れる数々の場面が淡々と描写されていて、変にクドくなくて良い。深刻な出来事に見舞われている登場人物たちに、視聴者は共感を強要されることなく、彼女たちを観察することに徹することができる。

これは思うに、この映画が男女関係そのものではなく、女同士が共に暮す姿に焦点を当てていることに由来している。つまり、この映画にはたいした男は登場しないのだが、むしろそれが功を奏している。もしも、お座敷で男を相手に芸者として仕事をする場面、つた奴の元旦那が登場する場面、染香が男に捨てられる場面など、男と抜き差しならぬような事態に陥る場面が挿入されていれば、この作品は深みを増すどころかむしろ中途半端になって、美点を損なってしまうだろう。この作品のレビューをネットで検索すると、「女優の仕草が美しい」という意見がある。この意見には賛成だが、視聴者が俳優の所作に注目して、それを美しいなどと感じることができるのは、俳優の巧さのみに由来するのではなく、男を出さないことで視聴者の共感を抑制するという仕組みにもよっているように思う。

 

少ない尺のなかで、何を観せて何を観せないか。 

この作品は、男を観せないことで、女たちの美しさを際だたせることに成功している。

流れる

流れる